のづ記

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「奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ」挑んだ2作目

こちらの更新は久しぶりですね。

先日、怖い話をするキャスを聞いていたら、何もないところで何かに足首を掴まれたのづです。

本日はホラーつながりで、以前も紹介した書籍の第二弾を紹介したいと思います。

 

木犀あこ『奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ』

 

奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ (角川ホラー文庫)

奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ (角川ホラー文庫)

 

 

『~ホラー作家はおばけが怖い』に続くシリーズ第二弾です。この作品は前作発売後に紹介しましたが、今回改めて述べると

➀.新人作家と担当編集のふたりの主人公によるバディ物である。

➁.主人公が作家である事を活かし、ホラーというジャンルでありながら作品論・物語論的な視点が強い。

➂.➁ゆえに、ホラーとしての恐ろしさは控えめ

➃.主人公ふたりのキャラ造形はかなりディフォルメされた面があり、よくも悪くも重くない雰囲気の物語となっている。

 

語り手は作家側の主人公、熊野惣介であるため、おそらく木犀先生ご自身の経験をもとにしたメタネタも多く、これがホラーという死とは切っても切れないフォーマットでありながら重苦しくない作風にすることに貢献しています。④の要素と合わせ、良く言えば軽快で読みやすく、欠点を取り上げるなら恐怖感がいささか薄いかもしれないと言えるでしょう。

さて、これが2作品ながらシリーズを特徴づける要素でしょう。ただし、今作は➂がかなり後退した印象を受けます。つまりは、怪異と接するシーンは前作よりもホラーテイストが強いのです。というのも、今回遭遇する霊たちの造詣描写が明らかにグロテスクになっています。『象の足』を生き物にしたかのような”怪人エヴィラ”、焼けただれた水死体のような幽霊”ひざおいてけ”、そしてもののけ姫と映画エクソシストへのリスペクトを感じる(どういう組み合わせだ)不在の家の怪異たち…。木犀先生はトロマ・エンターテイメントに傾倒した時期でもあるのかしらと思わせる数々の霊。前作では白く不定形なものであったり、可愛らしい付喪神であったり、ラフレシアであったりと、むしろ怖さを感じさせない霊たちであったのとは対照的な存在です。

思うにホラーには、シチュエーションでの恐ろしさと外見での恐ろしさがあります(全くの余談ですが、何故だか前者のほうが上等とされる向きありません?)が、本作は後者へ意識的に注力した感があります(前者を捨てているというわけではありません。というか三話目「不在の家」は普通に怖いです)。これは、バディ物をあまりにウェットなものにしないようにする作者の意図、キャラクターに広い意味で救済を与えようという愛を感じる配慮でした。作中の表現を借りれば、本作はまさしく「安全に恐怖を楽しめる虚構世界」と言えます。

 

ホラー作品論は本作でも語られていますが、恐怖を通して安全を感じる、というのは、ホラーの醍醐味の一つではないでしょうか。死を通して生を実感する。それは現実で体感しようものならあまりに強い悲劇を伴わなくてはなりません(意図的に起こそうとすると『カイジ』の鉄骨渡りになります。100%法に触れますね)。だからこそ我々は虚構の中に死や怪異、恐怖といった本来なら嫌悪し、ストレスとなるものをわざわざ描き、見ようとするのかもしれません。

 

本作は生死をどう捉えるかというこのシリーズの世界のルール、もっと端的にいえば「この世とあの世」の設定も明確に描写した一作でした。ホラーでこの辺りに触れるのは、今後のシリーズにも確実に大きな影響を残すのは間違いないでしょう。これが吉と出るか凶と出るかは3作目以降明らかになるでしょうが、とにかく描写が軽快で読みやすく、それだけでも一定以上の面白さが保障されるのは間違いないかと。

 世界そのもののルールにまで踏み込む一方、前作ではやや薄弱であった主人公の動機、つまりは何故怪異を物語るのか、何故自身を作家たらしめるのかという個のスケールでの話も触れています。熊野や安達原(若手作家)を通し語られるこれらの作家論・物語を紡ぐという生業への持論は明らかに熱量が高くなっており、作者の思い入れの強さを感じられます。

 

 1作目を踏まえ、物語を新たなステージへ押し上げようという意欲に満ちた2作目です。これが売り上げ的にどうなるかというのもあるのでしょうが、のづは好きです。この「挑んだ2作目」が、このシリーズ、そして木犀先生の作家としての今後の飛躍となりますようにと願いを込めて。

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