のづ記

Twitterは@shin_notturiaです。本とかゲームとか怖い話とか。

トランスフォーマーの新時代が来たかもしれない話

皆さんこんにちは、のづです。
今日は先日Netflixで独占配信が開始したアニメシリーズ、「トランスフォーマーWFC(ウォーフォーサイバトロン)トリロジー 第一章『シージ』」(以下『シージ』)について語ろうと思います。
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1,原点回帰と革新〜トランスフォーマーは「ロボット玩具のアニメ作品」であるということ〜
 何よりもまずこの作品の予告編が公開された際に話題となったのは、映像に先駆けて販売された玩具版の再現度の高さです。
例えばトランスフォーマーの顔役であるオートボット(サイバトロン)の総司令官オプティマス・プライム(コンボイ)の玩具版はこんなデザイン。
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全体として現代的なスマートなシルエットですが、各デザインは初代トランスフォーマー(通称『G1』)を彷彿させる「古き良き」「ハズレのない」デザインです。

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G1コンボイ。日本版のCVは今回の『シージ』や実写オプティマスと同じく玄田哲章氏。

対して、本編で動く姿はこんな感じ。
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 腕や背中に板状パーツがあることが分かります。玩具版では「ガワ」と呼ばれる車両形態時の外装に当たるパーツで、見栄えが悪くなる、変形が単純で妥協した設計であるために生じる余剰と見なすなどの理由から、「ガワ」は極力少ないほうが良いという暗黙の了解があります。
今作のオプティマスプライムは玩具版の時点でかなりスマートに変形しています(この玩具は向こう10年トランスフォーマーブランドを牽引しうる傑作と呼び声が高い)が、腕と背に「ガワ」が存在します。この程度の「ガワ」はもはや気にするまでもないのですが、『シージ』においてはこの「ガワ」すらもデザインとして本編のCGモデルでもオミットせずに描いているわけです。
 映像が玩具のほうにデザインを寄せる(制作は並行して行われていたのかもしれませんが、我々消費者の手元に届く順番として)は些末なようですが実は大変に画期的で、玩具版の再現度も後追いでグンと高めてくれているのです。玩具と映像でのデザインの乖離は特に実写版で顕著で、かつて実写映画1作目が作られた際に中々玩具製作サイドにも資料が降りてこず、初期デザイン案から四苦八苦して商品開発をしたというタカラトミー社の苦労を思うと、この「玩具の方に映像が寄せる」という気遣いがどれほどありがたく、またタカラトミーに敬意を表した采配であるか伺い知れます。
 トランスフォーマーとはロボット玩具のアニメーションなのであり、それを現代の技術で最大限「映像の側」から寄せる姿勢に、強い感銘を受けるわけです。



2,現代ナイズされた、「今ドキの若者」バンブルビー

 トランスフォーマーは30年以上の歴史を持ち、数多くの作品が作られてきましたが、(無論例外はあれど)大筋として
「サイバトロン星(セイバートロン星)に住む金属生命体は正義の軍団オートボット(サイバトロン)と、悪の軍団ディセプティコン(デストロン)が、母星で始めた戦争を地球に持ち込み、地球を舞台に飽くなき戦いを繰り広げる」
という有り体に言ってしまえば、非常に古典的な善悪の二項対立なわけです。『シージ』もその型を踏襲しつつも、35周年を超えて新たな原典にならんとする高い志が伺えます。
 例えば物語が幕開く冒頭シーン、『G1』ではエネルゴン(トランスフォーマーにおける燃料にして食料のようなエネルギー源)を盗もうと潜入任務を行うバンブルビー(和名バンブル)とホイルジャックの二人から始まりますが、

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左、ホイルジャック。右、バンブルビー

『シージ』の冒頭もこの二人が、同様にエネルゴンを求めて潜入する
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という字に起こせば完全に同じシチュエーションなのですが、だからこそ2作品の差異、すなわち『シージ』が目指すものが明確に表現されているわけです。
こと注目すべきはバンブルビーのキャラ付です。
 『G1』でのバンブルビーは、オートボットの中でも(比較的人間に大きさが近い)小型な戦士ということもあり、地球人のキャラクターの相棒という人懐っこい性格です。オプティマスに対しても敬愛の念を抱くハツラツとした若者(もっと言うと日本語版は少年然とすらしていました)で、変形するのが丸っこいVWビートルということもあり、馴染みやすく愛されるキャラクターでした。
 対して『シージ』版のバンブルビーはどうかと言うと、生い立ちや立ち振る舞いからして全く異なります。もともとレースが盛んな「スピーディア」なる星で興行に熱中していたバンブルビーでしたが、戦争が始まるとそれらもすべてなくなったために行き場を失います。そして物語冒頭のようにエネルゴンハンター(シーズン1の後半にはマフィアのような独自勢力を持つとある人物と繋がりがあることも描かれます)として無気力に生きるようになるのです。*1

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気が付きゃバンブルビーといえばこの人!みたいになってる木村良平氏によるちょっとスレた若者感が凄くいい。

 アメリカ経済の細かな事情や教育事情は分かりませんが、格差は日本より顕著で深刻と聞きます。日本においても近年「半グレ」などという言葉が生まれるように、社会での居場所を失い、犯罪に手を染めざる他ない若年層が洋の東西を問わず存在するのは想像に難くありません。*2全世界的な傾向であるとするなら暗澹たる気持ちにもなりますが、日本での教育格差が顕著になってきた昨今、アメリカ発の作品でこのような描写のキャラクターが、それもトランスフォーマーでも屈指の人気を誇る*3バンブルビーに背負わせるというのは、否が応でも注目してしまう要素ですし、Netflixという大人が視聴する前提の媒体で展開される『シージ』ならではのキャラ設定と言えるでしょう。
 物語冒頭から登場するバンブルビーの姿は、そういう大人達の社会を信じられなくなった(しかし変えようとする意志も知識もない)若者と重なって映ります。そしてこのバンブルビーの視点は決して「冷めたやる気のない若者」と若者責任を押し付けて良いものではないのです。



3,硬い意志か、老害か。これで良いのか司令官!?

 『G1』のオプティマスプライム…というよりも我々日本人が呼び慣れている呼び方でなら「コンボイ司令官」は強い正義心を持ちながら、その正義感の強さゆえに頑固な側面を持っている人物像でした。しかしハイテンポに進む物語や、敵の攻撃を食らえど次のシーンでは元気に反撃するようなお約束的な範囲内での戦いであったために、この特性も「そういうギャグの一環」程度に受け入れられるレベルのものでした。(なお、映画版では冒頭シーンから今までならば「おっと痛てて」程度で受け流していた攻撃を食らって既存キャラクターが惨死しだして完全に観客の虚を突いてきたわけですが…)
 『シージ』でのオプティマスも高い理想を持ちながら、周りの制止*4も聞かずに無茶な作戦を断行したり、そもそも実在するのかも疑わしい伝説上のアイテムを求める探索に自ら出かけたり(しかもそのきっかけが早とちりと来たもんだ)と、はっきり言って人の上に立つ器なのか疑わしくなるほどです。投降する敵を信じて受け入れる度量はあるものの、『シージ』は紛争の末期を重々しく描いており、オートボット戦士は満身創痍、ホログラムで隠した本部基地の中では傷病者だらけという状況です。加えてオプティマスは作戦の大目標は達成しつつも、その無謀な作戦の中で仲間たちが戦死していきます(それも名前のある人気キャラクターも結構あっさりと死ぬ)。
 バンブルビーが現代ナイズされたことは上で述べた通りですが、オプティマスは対照的に35年前から貫かれた信念を持つからこそ、頑迷な悩める指導者にも見えてしまっているのです。



4,実はかなり怖いぞ。初代からのエッセンスを表出させたメガトロン

 一方で悪の軍団ディセプティコンの首魁メガトロンはどうでしょうか。

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吹替版のCVは大塚芳忠

 命令を聞かぬ部下を殴り飛ばし、造反の疑いがあるものには銃口を向けることも厭わぬ暴力的な顔を持つのは確かですが、敵(オートボット)に対しても自分のもとに来ないかと提案したり、それを拒否されても「誇り高い戦士」と(おそらくは皮肉も込められているでしょうが)一定の評価を下しています。マッドサイエンティストな部下が提案したオートボットを絶滅させる計画も全て聞いて有用性を認めた上で実行許可を降ろさぬ冷静さを持ち合わせているのです。
 では『シージ』は善悪が逆転した世界なのかと言うとそれも違い、メガトロンの狡猾さは物語が進むに従って際立ってくるのです。
 今作のシーズン1は全6話と日本のアニメ1クールの半分程度ですが、その中でメガトロンが大衆を前に喧伝するシーンが何度も出てきます。もともと社会的弱者である労働者階級の出である彼は(恐らく社会的に賢者として見られているのであろう)アルファトライオンという人物に師事する中で政治改革を目指すようになりますが、社会に絶望し師であるアルファトライオン*5を殺害、以降は「圧政による平和を」を標榜してディセプティコンを率いるようになります。今作では今まで以上に「保守派vs暴力改革」という構図が色濃く描かれているんですね。

そんな革命派のメガトロンが戦局を有利に進める中で度々行うのが上記の通り大衆を相手にした演説です。マスメディアを用いた恣意的な情報を、既存の支持者に向けて発信して鼓舞する様は空恐ろしいものがあります。

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こんな密度でパネルを出す必要ある!?

もともと『G1』のメガトロンは「ワルサーP38」というナチスドイツが用いていた拳銃に変形するため、メガトロンというキャラクターはもとよりナチスドイツやファシズムといった要素織り込まれた存在と言えます。そう思うと、上の「圧政による平和」もマスメディアの巧みな利用も、作中の効果以上の意味を持って響きます。過去にも知性派のメガトロンは存在しました*6が、「民衆に訴えかける」ことをここまで行う描写のあったメガトロンはいないのではないでしょうか。*7




長々と御託をならべて描いてきましたが、私の感想としてはシーズン1時点では、今後作られるトランスフォーマー諸作品が、常に意識する新たな原典となりうる素晴らしいポテンシャルを持った作品であると考えます。

この記事もそうであるように、用語に対して説明が足りない感はあります。また旧来のファンへの目配せ的な小ネタもあり、100%理解するには予備知識が必要です。しかし思えば『スターウォーズ 新たなる希望』も、事前の解説もないままに用語を多用したあらすじからスタートし、本編を見ていく中で「これはこの世界でこういう位置づけの言葉なんだな」と理解していき、その説明台詞の少なさ故に作品世界に没入できる仕様となっておりました。

『シージ』もあらすじ自体は決して難解なものではなく、見ていく中でその世界に没入できるかと思います。難しく捉えず、渋い世界観を描いた高品質なフルCGロボットアニメ

Netflixに加入して『トランスフォーマーWFCトリロジー』を是非!!






推しがあっさり死んでも耐えろ。

*1:シーズン1前半で多用する「自分は生き残りたいだけ」というセリフが象徴的。

*2:映画見る限り、そういう描写も多いよね

*3:実質的に主人公である実写版の系譜とは言え、自身の名を冠したスピンオフ作品も作られたほど

*4:主に元カノ感がめっちゃ強いエリータ1が呆れきる

*5:顔を隠して登場した際の声が、銀河万丈氏というリッチな配役であるため、今後何かしらの形で再登場しそう

*6:たとえば日本では千葉繁氏の怪演により緩和されて見える『ビーストウォーズ』のメガトロンなどは奸智に長けた悪役である

*7:そもそも「群衆」がいるサイバトロン星での戦いを描いたをここまで丁寧に映像作品自体が稀であるというのもあるが。