のづ記

Twitterは@shin_notturiaです。本とかゲームとか怖い話とか。

少しだけ推し(愛姫)の話をする

皆さんこんにちは、のづです。
先日Twitterにてこんなリプが届きました。

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別に変なことを言われたわけじゃないけど、鍵垢なので一応黒塗りにしました。

というわけで、愛姫の話をする振りと判断して、すこし話しますね。


【愛姫とは何者か】

愛姫(めごひめ、永禄11年(1568年) - 承応2年1月24日(1653年2月21日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。三春城主・田村清顕と正室於北(相馬顕胤の娘)の一人娘で、伊達政宗正室。通称は田村御前。出家後の院号は陽徳院。(Wikipedaより)
愛姫 - Wikipedia



独眼竜という抜群に格好いいあだ名で知られる伊達政宗正室が愛姫です。ただし政宗が存命中に独眼竜と呼ばれたことなどないらしいのですが、必要ならばこのあだ名も記事の中で用いるつもりです。つまり、この記事はそういった、人々の中で愛好されてきた「歴史モノ」を比較的おおらかに受け入れていくくらいの硬さと思ってください。というか年がら年中戦国無双の話してるやつのブログですので、最新の研究成果とかを検討するものではないのは、言わずともお分かりでしょうが…。

前置きが長くなりましたが、
まず愛姫という名前ですが、広く「めごひめ」と読まれています。実際は「よしひめ」とか呼ばれていることもあったり、本名は「愛子(さとこ)」であったとも聞きます。かわった読み方ですが、有名な逸話として、「めご」は「めんこい(東北地方の方言で『可愛らしい』という意味)」に由来するというものがあります。愛姫の父、田村清顕が娘可愛さに「めんこい」と呼びまくったから定着という話です。親バカですが美人であったのは他の伝承にもあったり、仙台市瑞巌寺所蔵の陽徳院坐像(陽徳院は愛姫の法号)も均整の取れた面立ちで、容姿端麗であったというのは大名の正室という立場を考慮してのおべっか以上に信頼がおけることのようです。顔の良い推し。最高ですね。
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余談ですが、ほぼ同時期の八戸氏に清心尼(せいしんに)という女傑がおり、この人も俗名で「女古(めご)」という呼称が残っているらしく(字は当て字というか筆記用に適当に用いたのでしょう)、この呼び方は少なくとも東北地方においては思っているよりは奇特でないのかもしれません。

閑話休題
さて、そんな容姿端麗な愛姫ですが、夫の伊達政宗との仲が単に終始仲睦まじいという訳にはいかなかったようです。特に結婚初期には政宗が、謀反の疑いをかけて愛姫の侍女らを処断するという最悪ムーブをかましたりしています。実際この件や、愛姫の実家田村家がある三春では神聖視されていた鶴を、伊達家では祝いの席で出したりするなど、政治的なものだけでなくパーソナルな部分でも合わなかった要素があったようです。現代でなら愛犬家の妻が旦那の実家で犬料理出されるような感じでしょうか。現代日本の犬の位置づけとか差し引いても離婚待ったなしですよ。
離婚とまではいかないまでも、かなり険悪であったようです。しかし、遅くとも豊臣政権に従属する1590年時点では、愛姫が人質生活の中で伊達家のために積極的に立ち回り改善されていたことが伺えます。この辺の決定打となったものは分かりません。実態はドラマチックなものはそうなくて、長く険悪であることは愛姫自身すら身の危険があったという程度のことかも知れません。そこまで冷めてなくとも、仲を修復したほうが伊達家中での都合が良いことは間違いないでしょうし、そういう所に考えが及ばぬ脳内お花畑とも考えづらいので、打算的なものは0ではないでしょう。いずれにせよこういう空白こそ、楽しむ余地でしょう。ミステリアスな顔を持つ推し。最高ですね。
ちなみにかつてコーエーが配信していた「100万人の戦国無双」における愛姫は、この外交官的な側面をフューチャーしたキャラクター造形でした。f:id:notturia:20190815190320p:plain

その後、子宝に恵まれない(この時代の女性に求められることとしては非常に大きな「仕事」でした)どころか側室の方がさきに男子を生んだりと、生涯にわたって穏やかな時間とは決して多くない人でした。しかしながら、生涯にわたって政宗を憎んだり、あるいは卑屈に従順な生涯を送ったかと言えばそんなことはなく、むしろ残された手紙や事跡の端々から、苦難を共に乗りこえた夫婦仲や矜持を感じさせてくれるのです。


【「伊達者」の妻として】
派手好き、洒脱な者を指して「伊達な」といった言い回しをしますが、語源である伊達政宗がそのように言われるようになったのは秀吉による朝鮮出兵のころと言われています。となると政宗は26歳。元服から10年以上たっていますので、現代の感覚だと30代後半~40といったところでしょうか。芸能界などは別として、一般人の感覚だと派手な服装で持て囃されるには少々歳を食っている感もあります。有名な白装束での小田原参陣、黄金の十字架を背負っての弁明など(多分に後世の脚色はあるでしょうが)演出力で乗り切ることの多い伊達政宗。愛姫はそんな彼を夫とするわけですから多くの場面で振り回されたことは想像に難くありません。ですが政宗から愛姫に送られた手紙には「めごへ まさ」と、随分可愛らしい表記でのやりとりが見られます。
また、政宗からの一方的な愛情というわけでもないようです。その証拠に、愛姫も幼い日の政宗直筆の手紙を遺しています。今日にも伝わる政宗の木造は、死の際にあった政宗の「両目とも残した像を作れ」という言葉を無視して隻眼で作られていますが、これも愛姫の指示によるものと言われています。振り回され続けた夫に対して意地悪をする様は、ほほえましさすら感じられます。最強の公式、史実が認めたカプ。最高ですね。
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このほかにも愛姫が伊達家の派手な装束のプロデュースをになっていたりと、反目し合う時期もあれど、あるいはあったからこそ、他に考えられぬ唯一無二な夫婦というのが、愛姫と政宗の最大の魅力ではないでしょうか。


とまぁ、ザックリとのづが考える愛姫の魅力というのはこんな感じです。文才なく、魅力が伝わらずとも熱意だけでも伝わってくれたならば幸いです。

ねぇ、コーエーテクモゲームスさん!!!!