皆さんこんにちは、のづです。
気が付けばクリスマスも終わり、2021年も年の瀬ですね。
今日も今日とて、そのような季節感があまりない記事なのですが、12月19日に発売されたウルトラジャンプ掲載読み切り作品『フジコのの奇妙な処世術 ホワイトスネイクの誤算』(以下「本作」)の魅力を紹介していこうと思います。
Netflix先行配信*1という形でアニメ化した『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』の幕間にありえたかもしれない話を、『怪物事変』や『保健室の死神』の作者、藍本松先生が描くスピンオフ作品です。
さて本作は、作者がTwitter上でサンプルとともに告知をしたところ、賛否が大きく分かれる反応を呼びました。
本日発売のウルトラジャンプ2022年1月号にジョジョのスピンオフ読切を描かせていただきました!
— 藍本 松 (@aimoto1222) 2021年12月18日
ジョジョ大好き漫画家としてジョジョに関われて大変光栄です。荒木先生、UJ編集部さん、ありがとうございました…🙏✨ #ジョジョの奇妙な冒険 #JOJOsBizzareAdventure pic.twitter.com/GyxihFpYbj
特に批判的な意見の主旨を要約すると
①ジョジョにあからさまな性的描写を持ち込んでいる
②作者のオリジナル作『怪物事変』にない性的描写を、他者のスピンオフ作品に持ち込むズルさ{徐倫というキャラクターを汚すかのような行為}
③女性を性的な消費物としてしか見ない男根主義
といったものでしょうか。この辺の解釈からして違うという人は巻頭カラーの『クレイジーDの悪霊的失恋』を読んでくださった方が建設的かつ充実した時間を過ごせることかと思います。あっちもハードボイルトなタッチとホルホースのキャラがマッチしていて面白くなりそうだしね。
閑話休題。
さて、上にあげた3つの要素は果たして真っ当な批判なのでしょうか。
私個人としては、これらの批判意見に対し、異なる読後感を覚えました。そこで、3つに大別した批判に対してどのように思ったのかを以下に列挙していこうと思います。
批判①…ジョジョにあからさまな性的描写を持ち込んでいる
原作にも性の要素多くない?。
『モナ・リザ』を見て勃起した吉良吉影は言わずもがな、ノトーリアスBIG戦でのトリッシュや、DIOの女性の扱い方(これは人類でなくなったDIOが捕食対象としてしか見ていないとも言えるが、作中での位置づけ以上に描写)など、原作の時点で性的な描写は少なからず散りばめらていますよね。青年誌であるウルトラジャンプに移籍して以降は、より直接的にもなっています。
批判②『怪物事変』に性的な描写はなかったのに。
けもじに性的な要素滅茶苦茶あるだろ。
藍本先生の代表作でもある『怪物事変』の主要キャラクターは、13歳~15歳ほどの少年少女たちです。無論メインキャラクターの中に大人キャラクターも存在しますが、いずれもサイドキック的な働きが大きく*2、メインビジュアルの類も全面に押し出されるのは少年少女のキャラクターたちです。
藍本先生の絵柄の可愛らしさも相まってか非常に取っつきやすい(実際読みやすさや「何が起こっているのか」「何をすれば勝ちなのか」という構造の示し方も非常に明快で分かりやすい)作品ですが、主要キャラクターの根幹をなす経験には性にまつわるトラウマが関わっていたり(しかもこの描写がかなりショッキングな絵面)、閉鎖的な村社会の中で、子孫を残す為だけに重宝される存在であったりといったかなり強めの性的描写が盛り込まれています。何より、作中の宿敵である飯生妖狐のデザインや能力は、記号的なまでに性を押し出したものでしょう。
更に言えば『怪物事変』のみならず、週刊少年ジャンプ掲載の『保健室の死神』や『MUDDY』にも、性的要素が盛り込まれたデザインのキャラクターやエピソードがあり、藍本先生はもとよりエロチックな描写を取り入れることに積極的な作家と言えるでしょう。
徐倫にエロ要素を…というのも、事実に基づいているでしょうか。『ストーンオーシャン』冒頭から独房で自慰に耽り、それを看守に見られたことを嘆くギャグを入れたりするのが原作ですから、あまり正確な批判ではないと思われます。
批判③男性による一方的な性的消費
原作と同じくらいでは!?
たとえば「ズキューン」という効果音や、「そこにシビれる!あこがれるゥ!」という個性的な取り巻きの反応で有名なキスシーン。ジョジョ第1部『ファントムブラッド』でのシーンですが、これは少年期のディオが主人公ジョナサンの自己肯定感を徹底的に落としてジョースター家を乗っ取ろうという野心のもとに行われた文字通りの女性を搾取する行為でしょう。
あるいは作者が愛し、根強い人気を誇る第4部のラスボスである吉良吉影は、手のキレイな女性を殺さずにいられず、切り取った「手」を持ち歩いて異常な愛着を示すシリアルキラーです。
上に挙げた二人はどちらも悪役であり、主人公たち、つまりは作中で善玉とされる人々が全面的に否定する…というのであれば、確かにこの批判も正しく筋の通ったものでしょう。しかしながら、承太郎や仗助のあらゆる言動に色めき立つ女子高生や、飛行機が墜落寸前という時に、花京院の顔の良さにうっとりするCAたち…
上の事例はいずれもギャグ的に扱われながらも、本作に対し批判的な声をぶつける人々が掲げる自立した女性像をどれほど捉えられているものでしょうか。
私は『ジョジョの奇妙な冒険』を「女性観が旧時代的な劣った、あるいは間違った作品だ!」と言いたいのではありません。聖典のように扱い、原作者の荒木飛呂彦先生が公認したスピンオフと、その作者に対して攻撃的な意見を飛ばすことにどれほどの正しさがあるのか、そしてその意見の根拠がどれほどに的確なものなのか、ということに対して甚だ疑問なのです。
本作がエロギャグを基調としており、荒木先生の絵柄と大きく異なるのも事実でしょう。しかしながら、セリフ回しやコマ割り、話の加速感、徐倫をはじめとしたキャラクターの立ち方やその言葉選びなど、藍本先生の『ジョジョ』に対する愛情が確かなものであることは一読すれば伝わることと思います。また、いわゆる日陰者への光の当て方は、一方的に「正しい」方に誘導するのではなく、許容するというスタンスであり、これはむしろ「正しさ」を押し付ける行為よりもよほど現代的なものではないでしょうか。
本作は「悪いものではない」ではなく「いい作品」なのです。
食わず嫌いをせず、どうか一度手に取ってみてはいかがでしょうか。