のづ記

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【禍話リライトシリーズ】まみさんの家

※怖い話を文章化したものです。苦手な方は御注意ください。

 

 

 

 

 これは、ベテランと呼んで差し支えない教師A子から聞いた話だ。A子が新任教師として母校に着任した年のことだというから、もう20年ほど前のことになる。当時のA子の指導担当として面倒を見てくれたのは、生徒から祖父のように慕われる穏やかな男性Dで、細やかなアドバイスや、授業なども伸び伸びと挑戦させてくれる寛容さを持つ素晴らしい人物であった。

「だからねぇ、本当に初任校は楽しかったわ。その先生の副担任だったんだけど、生徒も歳が近いのもあって慕ってくれてさ。子供たち同士も結構仲良くてね。でもアレは忘れられなくてねぇ」

 A子は、師であるDを思い出すときとは打って変わって冴えない様子で語り始めた。

 

 

 ある報告がA子のもとに届いた。ここ最近、副担任をするクラスの生徒の何人かの帰りが遅いのだという。名前が挙がった三、四人の女子生徒はどれも明るく素直な子たちで、当時は不良のたまり場となっていた地元のゲームセンターなどに興味を示すようにも思えない。最近駅の近くに雀荘ができたが…と考えたが、彼女らが卓を囲む姿というのは想像もつかない。

「う~ん、少し上の代の先輩たちも荒れてるって子たちじゃないから、悪い先輩と繋がりあるとも考えらないしねぇ。まー、あの子らならごまかさずに答えてくれるだろうし、A子先生の方から聞いてみてくれる?」

 生徒の顔ぶれも、およそ不良というカテゴリとは最も縁遠いものであったから、Dも大きくとらえなかった。Dから頼まれたA子は、その日の放課後に早速該当する生徒に声をかけた。授業時もいつもと変わりない、むしろハツラツとした印象を抱くほどであったが、帰り際に呼び止めても嫌なそぶりも見せず、健全そのものだ。A子は思い切って、単刀直入に聞いてみた。すると女子生徒グループのうちの一人が口を開いた。

「あー、マミさんの家に行ってるんですよ」

「マミさん?」

「あ、帰り道の途中にある、郵便局から駅の方に向かっていくとある結構大きな家の人で。最近そこにみんなで行ってるんです」

「でもそっか。ちょっと遅くなっちゃったりすることもあったりしたからお母さんとか心配しちゃったのかな…」

「そのマミさんっていうのは、誰かのお母さんとかじゃなくて?」

「友達のお母さんではないですよ。あれ?でも、どうなんだろ。マミさんめっちゃ美人だけど、お母さんって風な歳かな?年齢分からないくらい綺麗で」

「ねー、家大きいし何か習い事の先生っぽいんですよ」

「うーん、じゃあそこでみんなで遊んだりしてるんだ?」

「遊ぶっていうか、本当にマミさんの家でお話したり、テスト近いと一緒に勉強したりとかですね」

 学校関係者には心当たりのない人物だった。しかもそこで何か学校や教師に言えないことをしている様子もない。目の前の子供たちは、その「マミさん」という人物の家で過ごすことを実に楽しそうに語るし、保護者が心配することを素直に受け止めて「今日はお母さんに言わなきゃ」だとか、牧歌的なまでに健やかだ。自分がその「マミさん」と会って判断すべきなのだろうか。

「じゃあすごくいい人なんだ。うーん、でもほら、先生も立場的にやっぱり一度一緒に行って会ってもいいかな?疑っちゃうようで悪いんだけどさ」

「あ、そうですよね。たぶん全然問題ないとは思うんで、今日聞いてみますね」

 至極穏やかに尋問は終わった。Dに一部始終を話したが、なるほどそれなら一度会って人となりを知れば問題なかろうと判断した。

 

 

翌日には授業が終わると件の生徒たちの方からA子に話しかけてきた。

「昨日のこと、マミさんに話したんですよ」

「あ、話してくれたんだ!ありがとう」

「というかマミさんがすごくて、『いつも寄ってるとご家庭とか学校の人も心配するかもしれないから、今度一緒に遊びにおいで』って先に出して。心読んでるみたいなの」

「ねー!あっ、でもマミさんならできそうじゃない?」

「分かる、『昔こういうの流行ってねー結構当たったのよー』とか言いそう」

 生徒は似ているのか似てないのか分からぬモノマネでキャッキャと笑っている。危険な人ではないと思っていたが、想像以上に穏やかな人なようだ。後ろめたいものがあるなら関わりを積極的に持とうともしないだろう。話はとんとん拍子に進み、A子はその日の放課後に生徒と共に「マミさん」の家に向かうことにした。

 

「先生、わざわざご足労いただき申し訳ありません」

「あっ、いえ、こちらこそ急に押しかけてしまい…」

 思わず恐縮してしまうような立派な門構えの邸宅と、柔らかな物腰。生徒たちがマミさんと呼んで慕う人物は、恭しくA子を迎え入れてくれた。切れ長な目が涼しげな印象を与える整った顔の女性で、生徒の言う通り誰かの母親という歳にも見えないが、歳不相応に落ち着いている…有り体に言えばどこか老婆然とした円熟した穏やかさがある。

 盆に乗せた菓子も煎餅や落雁など、どこか古風なものが多く、いわゆる「今どき」な子たちが好んで選ぶものではないが、女子生徒たちは嬉しそうに手を伸ばしながら話に花を咲かせた。

「いえね、私も学校や御家庭にお話をしっかりしないままというのはよろしくないなと思っておりまして。ましてや女の子たちですから、なおさら心配なさるでしょうし」

「わたしのお母さん全然心配なんてしないよ~」

「こーら、そういうことを言うもんじゃありませんよ」

「は~い」

 子どもへの対応もしっかりした人だ。思春期の気難しい子供たちも彼女の言葉はよく聞くのも納得がいく。女の子たちはテレビを付けるでもなく、談笑を続けている。家の主はそれをにこやかに聞きながら、時折大人同士の会話が続けられた。

「ほらこのくらいの年頃の子たちには、こういう心の気晴らしと言いますか、余剰みたいなものを提供できればと思いまして…なんて言っておりますけど、私の楽しみでもあるんですよ。先生を前に恥ずかしいものですが、少しくらいなら勉強も見てあげられますし、この子たちの恋愛相談なんかは年甲斐もなく私がはしゃいじゃってね」

「ちょっとマミさん、先生には言わないでよ~!」

「ふふ、ごめんごめん。そういうわけで先生、こうして放課後に場所を提供しているんですよ」

 結局、二時間ほど滞在して、A子は生徒と共に家を出た。全くの無害、というのが新任ながらA子の教師としての判断だった。涼しげな印象の顔が、笑顔になると温かい丸さを帯び、人懐っこい動物の様な雰囲気にA子もたった一日で良い人だなと思った。

 生徒にもう今日はまっすぐ帰るように言ってから学校に戻り、自身の印象を交えて報告すると、Dも納得したようだった。

「名前は、マミさんでしたっけ?上の名前は表札とかにあったでしょう?」

 そこではじめてA子は、自分が名前を確かめ忘れていたことに気付いた。表札は見ていたが、複雑な漢字を見慣れない書体で書いていたので読めなかったし、家の中にも名前を記すようなものも見当たらなかった。氏名が分からぬまま管理職に報告するというのもバツが悪いので、結局この件は特段言及することもなく、問題のない些末なこととして処理された。

 

 それからしばらく、女子生徒の間でマミさんの評判が広がり、家に訪れる人も増えるようになった。そんな中、一人の女子生徒が、男性教師のEに「密告」をした。曰く、マミさんの家で二人きりのタイミングになり、性的な悪戯を受けそうになったというのだが、これは誰の目からも嘘であると明らかだった。その女子生徒は平素の人間関係からマミさんの家に行く一向から除け者にされがちであったので、彼女らの憩いの場をかき乱そうと思いついたつまらぬ虚偽である。しかしながら報告を受けた相手がEというのが良くなかった。Eは減点方式でしか人を見ず、一度敵と見なせば埃が出るまで叩き続ける底意地の悪い性格で、生徒からも同僚からも嫌われている男である。問題を大事にするには最適解な人物であったので、この女子生徒もEの陰湿な性格を見込んで「被害報告」をしたのだろう。

 ことは女子生徒の望み通りに進んだ。EはPTAとの連絡会議で、二回りも歳が離れたA子を、氏素性の知れぬ相手の家にまで言っておきながら問題を軽く見て、今回のような生徒を傷つける事態を引き起こした要因の一つとして、一切の弁明を許さず糾弾し、保護者のまえで「マミさんの家に行くことは一切禁止」という校長からの言質を取った。

 翌日、朝のホームルームでその旨が言い渡されると、生徒は目に見えて落胆した。無理もないことだとA子は思っていたし、まるで不正を取り締まった憲兵のような気分でいるEや、嘘を密告した女子生徒への憎悪を募らせるのも予想通りであった。

 

 

二日ほどして、放課後にマミさんが来校した。A子の顔を見ると、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。

「このたびは本当に申し訳ありませんでした…今後先生にご迷惑がありませんよう、これ、私の名刺ですので…」

 マミさんはそう言って名刺を渡すと、終始申し訳なさそうに、慕ってくれていた生徒とも会わぬように裏門から帰っていった。A子もこんな折り目正しい人を守りきれなかった罪悪感もあったので何度も謝り、小さくなるまで後ろ姿を見送った。名刺をその場でしげしげと眺めるわけにもいかないので、自分の名刺入れにしまい込んだ。お茶でも飲んで落ち着こうと給湯室に向かう。

「あ、A子…」

 洗い場に居たのは、同じく新任の女性教諭であった。どうしたわけだか顔面蒼白で、男物の湯飲みを握っている。

「え、どうしたの?手とか切っちゃった?」

「いや違うの…これ…」

 湯呑の底には、十円玉が転がっていた。

「ん?誰のこれ?銅って有毒なんじゃない?」

「だよね…これ、Eのなんだけど…これさ、三回目なんだよ…」

「えっ!?」

 彼女の話では、先日のPTAとの会議の後に湯呑を洗うよう言われたとき、昨日の放課後、そして今日と三日連続にわたってEの湯飲みの底に十円玉が落ちているのだという。

「最初は馬鹿だなーって、私E嫌いだし…でも、これ三日連続ってヤバいよね…?」

 喉の渇きも忘れ、職員室に戻ったが、Eは何ら変わらずパソコンに向き合っている。気持ちが悪いと思ったが、関わりたくもない人間なのでそれ以上言及するのをやめた。

問題は、週末をまたいだ月曜日に起こった。

警察から学校に、生徒を補導したとの電話が来たのだ。補導されたのは、マミさんの家で被害に遭ったと嘘をついた女子生徒であった。その日、彼女は家族と一緒に近所のショッピングモールに出かけたが、途中で気分が悪くなったので一足先に車に戻った。駐車場についた彼女は、周りに停めてあった車に財布の中にあった十円玉を使って、傷をつけて回った。警備員が駆け付けたときには、錯乱と言って差し支えのない状態だったらしく、彼女はしばらく学校を休むこととなった。

A子は途端に怖くなった。女子生徒もEも、言わずもがなマミさんを追いやった主犯格だ。わけもわからぬまま、Dに補導の話とEの湯呑に関する奇行を報告すると、平素落ち着いた様子のDも、ひどく動揺した様子だった。マミさんに関する話を、比較的初期から知っているのは自分とDだけだ。職員室の端で二人だけで血の気が引いた顔をして黙り込んだ。するとにわかに周りがざわつき始めた。先日給湯室で会った同期の女にいたっては、半分涙目になっている。ざわつきの中心にはEがいた。

『先週末あたりから、授業中にEが飴をなめているように口を動かすと息子が話していたが、本当ならばいかがなものか』という電話が学校に来たので、教頭がEに事の真相を確かめた。するとEは

「僕は飴なんかなめてませんよ、ほらぁ」

と、口を開けて舌に乗った十円玉を見せた。それまでのことを知らない人間も、この異常さに大騒ぎになった。

 こうも立て続けに十円玉を介して奇行に走ると、否が応にも縁起の悪い何かを想起せざるを得ない。

「そ、そうだ。A子先生、名刺貰ったでしょ。名刺」

「あっ!」

 そうだ。あの時マミさんから渡された名刺は、給湯室の一件ですっかり忘れていてDに言われるまで記憶の隅に追いやられていた。急いで取り出してはじめて気づいた。

 それは名刺ではなかった。厚さや大きさは上手に寄せているが、ハサミで切った手作りの紙片だった。その紙には真ん中に一言だけ、達筆な字。

 

『狐狗狸さん』

 

こっくりさん

 

紙を持つ手が震えるA子をよそに、国語科だったDは恐怖の中で奇怪な一連のことがつながる感覚を覚えた。深い皺が出来るほど力を込めて目を瞑り、自分に落ち着くよう言い聞かせるように深く息を吐くと、A子の手にある紙をもう一度見た。気づきが正しくないよう、見間違いであって欲しかったが、何度見ても字に変化はない。

「あぁ…そっかぁ……」

「えっ?」

「A子先生…狸ってね、マミって読むんだよ…」

「え、そんな…だってさすがに…えぇ…」

タヌキやムジナを指した『猯(まみ)』という字があるように、タヌキには「まみ」という読み方が存在する。それは『狸』という字にも当てはまる。

表札が読めなかったのも無理からぬ話だ。手書きのような書体でただでさえ読みづらいのに、まさか『狐狗』などと書かれていようとは、想定しようもない。

もはやその行動が正しいのかも分からぬが、放課後になるとA子とDは震える足で「マミさん」の家を訪ねた。しかしすでに彼女は立派な邸宅を置いて引っ越しており、足取りは掴みようもなかった。それから数日間、よく彼女に家に通っていた女子生徒らが、目鼻が吊り上がり、獣のような形相になったマミさんが夢に出たと泣きじゃくりながら相談に来るとになったが、彼女たちにそれ以上の実害は起こらなかった。

結局、すべて何であったのか分からず仕舞いである。

ただ事実として、Eも錯乱した女子生徒も、それ以来学校に戻ってくることはなかった。

 

 

余談であるが、人をたぶらかす邪悪な魔物を指して「魔魅」と呼ぶのは、『太平記』などにも見られる表現である。

 

 

 

 

 

 

この話は、怖い話をするツイキャス『ザ・禍話 第九夜』を文章化したものです。文章化するにあたり一部再構成をしています。

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