のづ記

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【禍話リライトシリーズ】楽しいこっくりさん

※怖い話を文章化したものです。苦手な方は御注意ください。

 

 

 コックリさんに関する記憶は、そのどれもが明瞭でない。なにせ10年以上昔の話であるし、のめり込んでいた当時ですらどうしたわけか「楽しすぎて」何を話したか覚えていないのだ。

 
 父の仕事の都合で、小さい頃からA子は転校を繰り返していた。これは確か小学校高学年の話であったと思う。もう何校目か分からぬ転学先のクラスでは、女子の間でコックリさんブームが起こっていた。時代錯誤な、と小学生ながらに感じたのを覚えている。中心となって行っていた女の子(ここではK美と呼ぶ)に声をかけられた時も、自分が外様という意識もあって小馬鹿にした返事を返した。ただしこのK美は女子グループの中心なだけあって妙に押しが強い。小学生の語彙で言えばしつこい子なのだ。
「でもウチでやってるのは本格的なやつだから!」
 K美の粘り強さに根負けしたところもあるが、それ以上に言い回しが妙に引っかかり、少しだけ話を聞いてみようかと思った。子供というのは聡いもので、心のガードに少しでも隙間ができるのを見逃さないものである。K美はすかさず嬉々として語り始めた。曰く、学校の裏手にある焼却炉の奥に雑木林があるのだが、そこを抜けた先に、お稲荷様を祀った祠があるのだという。そこで手を合わせてから教室に戻って儀式を行うというのが、この学校、というよりK美たちのグループのローカルルールだというのだ。
 なるほど確かに「本格的」だとA子も素直に感心した。それならば試してみようか…とまで積極的ではないものの、新参者が集団になじむためには一度くらい参加するのは必要かもしれぬという打算も込めて、その日の放課後にK美たちについていくことにした。
 焼却炉を越え、鬱蒼とした林にできた獣道を行くと、確かに祠はあった。今にして思えば、狐の石像などもなかったので、名も無き土着の神か、もっとタチの悪い何かを祀っていたのではないかと思う。しかし当時は疑うことなく手を合わせて教室に戻った。
 そこから先はほとんど覚えていない。ネガティブなものではない。楽しすぎて、何を話したのか覚えていないのだ。返事一つに抱腹絶倒する酔っぱらいのように、とにかく陽気に笑って儀式は終わった。そこからのめり込むようにコックリさんを行ったのは言うまでもない。しかし何を聞いたのかは一つとして覚えていないのだ。行うたびに抱腹絶倒し、とにかく頭に残るのはひたすらに楽しかったという印象だけである。
 父の仕事の都合で、その学校も一年未満で去ることとなった。K美を含めた友人とも涙ながらの別れであったが、それも何度も繰り返してきた、そしてその後も何度か経験する転居による別れの一つでしかなく、A子は時間と共に忘れ去っていた。
 
 
 そして今、A子は大学生である。
 父が管理職に昇進したことで転居もなくなり、いまの家に越して久しい。小規模ながら憧れていた近所づきあいというものも初めて経験できたし、恋人も得て平凡ながらに幸福な日々を送っていた。
 そんなとき、ある夢を見た。夢の中でA子は、小学生に戻り、教室の一角に居た。K美達と過ごした、あの教室。毎日狂ったようにコックリさんにのめり込んだ教室だ。その夢の中の教室で、A子はK美達と共にやはりコックリさんに興じていた。
「あ!来た!」
「動いたよ!!」
「『う・ご・け…な・い』!蒲田さんちのS江ちゃんは、もう立てないって!」
「本当だねぇ!あんなに元気で若いのにかわいそうにねぇ!!」
 あまりに不吉なことを占いながら、自分達は嬉々としていた。「S江ちゃん」の身に降りかかる不幸を、10年前と同じように皆で腹を抱えて笑っている。
 そのうち、夢の中の自分の笑い声でA子は目を覚ました。真夜中である。ひどい寝汗だった。なぜ今になってあのころの夢を見たのかも、思い当たる節がない。当時の記憶もほとんどないので、実際に小学生の頃にあんな不吉なことで大笑いしていたのかも分からない。しかしそれ以上に、A子の気分を悪くしたのが、近所に住む「蒲田さん」の家に「S江」という歳の近い女の子がいることだった。
 それからA子は数日間熱を出し、床に臥せっていた。熱を出してから3日目の晩、A子がトイレに向かうと、自宅のドアを叩く者があった。こんな時間に、と思って出てみると「蒲田さん」であった。S江の母だ。
「蒲田さん…?こんな時間にどうしましたか?」
「あんたねぇ!」
ドアを開けたその隙間から、S江の母はA子の腕を満身の力で掴んだ。
「罪の意識がないなら何でもしてもいいと思って!罪の意識がないなら何でも!!」
 怒りを抑えようともしない震えた声でドアの隙間からにらみつけてくる姿は、A子の知る「蒲田さん」の表情ではない。思わず力任せに腕を振り払って、ドアを体当たりするように閉めた。慌てて鍵をかけ、今起こったことが現実なのかすら疑わしいが、腕にはくっきりと食い込んだ爪跡が残り、なによりドア越しに蒲田さんはぶつぶつと恨み言のような言葉を今も吐き続けている。
 
 それからしばらくして、蒲田家は引っ越していった。S江が経てなくなるだとか、大病を患うといったことはなかった。ただ、引っ越し先もさほど遠くない地区なので、いよいよ理由が分からない。A子は、自分の夢となにか関連する良くないことがあったのではないかと思わずにはいられなかった。そう思うと、そら恐ろしくなった。なにかざわついた気持ちに突き動かされ、数年ぶりにある連絡先にメールを送ってみた。K美たちがいた小学校のクラスメイトの一人で、卒業の時に連絡先を交換した子だ。中学の1,2年生ごろまでは時折メールのやり取りをしたり、開設してみては3週間ほどで辞めたブログを紹介し合ったりした。
 とりとめもない言葉での連絡に対し、翌日には返信が来た。そこから新しい連絡先を伝え、その日の晩には通話で再開を果たした。A子は自らの身に起こった諸々を話す前に、K美らはどうしているかを尋ねることにした。しかし、その名を聞いたとたん、電話越しに彼女の声は動揺に震えた。
 
 K美は死んでいた。
 
 それもつい最近、例の小学校に忍び込み、裏門近くの焼却炉の中で自ら命を絶っていたそうだ。身を焼いたわけではないが、その姿は凄惨で、新聞の地方面ではそれなりの大きさで取り上げられたらしい。後に計算して分かったが、K美が自分の首を掻っ切った日は、A子が例の奇怪な夢を見た晩であった。
 
 
 それから一度だけ、あの小学校まで行ったことがある。すべてを話したうえで同道してくれた彼氏と、記憶を頼りに祠にまで向かってみてA子は絶句した。誰が何の意思で行ったのか不明だが、その祠はコンクリートで塗り固められ、森の中に突然現れた不自然極まりない塊となっていた。まるで石棺だ。何かが外に出ないように、封じ込めるように、少しの隙間もないように…
 一連のことが何を意味するものなのか、K美の死と関係があるのか。そもそも全くの偶然なのか。全く分からない。分からないが、とにかくもう二度とその学校へは近寄るまいと心に誓った。
 
 
 
 
この話は、怖い話をするツイキャス『禍話』を文章化したものです。文章化するにあたり、一部表現・展開を再編集しています。